受け継がれるイワキイズム 山田和樹・篇
- TEXT / 片桐卓也(音楽ジャーナリスト)
2025年6月にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、飛ぶ鳥を落とす勢いの指揮者・山田和樹。現在ヨーロッパで大活躍の山田だが、彼は2010年からオーケストラ・アンサンブル金沢のミュージックパートナーを務めていた。以前に行われた公開対談の発言の中から、指揮者としての出発点となったオーケストラ・アンサンブル金沢時代のエピソードをまとめた。
山田 出会いはいきなりやって来ました。2006年の春、岩城宏之さんから突然呼び出されて、ホテル・オークラでお目にかかったのですが、僕のスケジュールも何も聞かずに、「金沢で演奏会があるから、それを指揮して」と言われたのです。それが4月14日の<第5回北陸新人登竜門コンサート>でした。当時、僕はまだプロのオーケストラを振ったことはなく、東京混声合唱団などを指揮していただけでしたので、びっくりしました。その<登竜門コンサート>には篠原悠那(ヴァイオリン)さん、荒井結子(チェロ)さんが出演して、それぞれが協奏曲を弾いたのですが、ようやく、自分のプロフィールにプロのオーケストラを振ったという経歴が付くので、引き受けたのでした。そうしたら、それ以後、日本の各地のオーケストラから指揮の依頼が次々と来るようになったのです。

山田 そのコンサートが開催された時には、岩城さんは入院されていたのですが、コンサート直後に電話がかかって来て、「評判良いよ」っておっしゃる。岩城さんは電話魔で、僕のコンサートでの指揮ぶりをリハーサル中からも団員に電話をして聞いたりしていたようなのです。「ただ、指揮しながらうなるのはやめなさい」と。実は、僕は大学では小林研一郎さんの弟子だったので、指揮しながらうなってしまうのは普通だと思っていたのですが、岩城さんはそうでは無かったようです。ただ、評価はして下さって、さらに「合唱とオーケストラを両方振る指揮者はいないから、それは続けて行くと良いと思う」とおっしゃっていた。それが岩城さんの遺言ですね。

山田 その<登竜門>コンサートのすぐ後に、岩城さんが東京混声合唱団の定期演奏会を振られる機会があったので、その時に挨拶に伺いました。そうしたら、すごく良い笑顔で「良いオーケストラだろ?」とおっしゃっていました。そしてその後に、岩城さんが最後にオーケストラ・アンサンブル金沢を振られた演奏会(第200回定期演奏会)がありました。5月の下旬には<東京混声合唱団 創立50周年コンサート>が岩城さんの最後のコンサートになりました。

山田 2009年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝しましたが、岩城さんとの出会い、オーケストラ・アンサンブル金沢との出会いがあった2006年は本当に忘れられない年です。その後、井上道義さんがイワキイズムを引き継がれ、その後はさらに広上淳一さんがそれを引き継がれた。もちろん井上さんの後に、ヨーロッパの鬼才ミンコフスキが指揮台に立ったのも凄いことです。
指揮者という職業はオンリー・ワンでなければいけないと思いますが、それを岩城さん以降、みんな個性的な指揮者が引き継いで来て作ったのがオーケストラ・アンサンブル金沢の魅力だと思います。

山田 岩城さんは何か自分のやりたい企画があると、ポケットマネーを出して実現してしまうような懐の深さがありました。またベートーヴェンの交響曲全曲を一気に演奏してしまうような破天荒さも持ち合わせていらっしゃった。岩城さんはたくさん本も書かれていましたし、直接、僕に掛けられた言葉もありましたから、それらも皆さんの財産として、僕から伝えられるものは伝えて行きたいと思っています。

オーケストラアンサンブル金沢や石川県立音楽堂の設立、岩城氏が掲げた「地域に根差す文化芸術活動」について、今こそ語らう。
※出演者が木村かをり氏から山田正幸氏に代わりました。